鼻毛の哲学

インフルエンザにかかって5日間家に引きもり中。

 

外に出ないから髭を剃らずにいて

「自分って髭を伸ばすとこんな感じになるのか」

と鏡の前でうっとりしていたら、 

 

鼻から一本の毛がちらり。

 

 

昔鼻から毛が出ていたから「毛太郎」と呼ばれたことがあり、

毛深いことも相まって毛関係はかなり気にしていたが、やってしまった。

 

1年前にAmazonで購入したエチケットカッターで

久々に手入れすることに。

 

鼻の穴に起動したカッターを入れた瞬間、

なぜか眉毛が気になりすぐに中止。

 

またすぐに鼻にカッターを突っ込もうとすると、

飛び出た鼻毛は無くなっていた。

 

 

 

ここで悩みました。

 

「一瞬突っ込んだカッターで完全に剃られたのか」

「いや、毛先の部分が無くなっただけで数日もすれば出てくるに違いない」

「しかしどれがさっきまで出ていた毛なのかわからない」

 

あの飛び出た鼻毛は、有るのか無いのか。

 

 

しかし私は気づいた。

 

視認できないから無いのではない。

伸びるかもしれない鼻毛ともう剃られた鼻毛のどちらの存在可能性も、

私の鼻の中に内包されているのだ。

 

さしずめ私の鼻はシュレディンガーの鼻。

 

私の鼻はかの有名な思考実験の舞台にまで昇華した。

 

 

しかし私はまたも気づいてしまった。

 

「普通に全部の毛を短く剃れば良いじゃん」

 

 

 

 

皆さんもインフルエンザには気を付けましょう。